🎶 2018年 🎶
1月~6月
※ 3月25日(日)※
矢野中学校ギター・マンドリン部
第12回スプリングコンサート
場所:矢野公民館ホール
【矢野マンドリンアンサンブル】
3/25「第12回矢野中学校ギター・マンドリン部 スプリングコンサート」が「矢野マンドリンアンサンブル」とジョイントで開催されました。
ご両親、お祖父さん、お祖母さん、そしてお友達他、約120名の沢山のお客様に来場頂き、最後まで熱心にお聴き下さり、とても嬉しかったです。
指揮者の先生が若く、はつらつとして みんな和やかな雰囲気で演奏できました。
私は「矢野中学校ギター・マンドリン部」の50数年前 (年齢が分かりますね!) の卒業生ですが私達の時より部員が多く、それに演奏もすごく上手で感動しました。
ずっとクラブが続いている、というのが大変嬉しいものです。
若い時に身に着けた楽器の演奏等は、私達のように歳を重ねても、また思い出して演奏できるものです。中学生のみなさんにも高校、大学、社会人と続けていって頂ければいいな~~~と思います。
「スプリングコンサート」に参加させて頂き心より感謝しております。
河内艶子
もう春ですね。
暖かい一日でした。
12回目のスプリングコンサートにも、たくさんの皆様が来てくださいました。
ありがとうございます。
*3月18日(日)*
矢野中学校ギターマンドリン部との合同練習
を行いました。
矢野公民館での合同練習です。
コンサートまで残り一週間となりました。
感心するほどみんなよく練習しています。
とてもいい演奏に仕上がっていますので、
みなさん!
ぜひとも聴きに・観にお出で下さい。
🌸 3月10日(土)🌸
矢野町社会福祉協議会「ボランティア研修会」
ミニミニコンサート
まだ、少し風が冷たくはありますが…
も~すぐは~るですねぇ~♬♪
爽やかな青空が広がる3月10日
矢野町社会福祉センターで、ミニミニコンサートをさせていただきました。
会場には約70名くらいお集まりで
なんでもボランティアで講師をされている方の研修会なのだそうで
演奏時間は30分。
こりゃ~~アッという間に終わっちゃうゾ~と
ちょっと気合を入れました。
ひと様のお役に立つ生き方をされている方々ってステキです。
会場に響く歌声は明るく、はつらつとされていて
皆さんの笑顔が、とても印象に残りました。
地元の皆さんの集まりですから、奏者の中には知り合いもおられて
手をふったり、声掛けがあったりと、とても和やかで
(やっぱりあっという間の)ホッコリするコンサートでした。
皆さん!これからも健やかにお元気でご活躍くださ~い。
2018/3/10
河本陽子
*3月4日(日)*
矢野中学校ギターマンドリン部との合同練習
を行いました。
【矢野マンドリンアンサンブル】
今日は、3/25(日)矢野公民館において開催予定の 第12回「矢野中学校ギター・マンドリン部&矢野マンドリンアンサンブル・スプリングコンサート」の1回目の合同練習を矢野中学校・音楽教室で行いました。
新2年生と新3年生の生徒さんは本日全員ではありませんでしたが約20名位。そこに矢野マンメンバーが加わり合計30人位での練習です。
毎年関心するのですが、みんさんしっかり練習していて、しかも暗譜。
とてもお若い新任の先生は、最初はちょっと遠慮されていましたが、
「ここはスラーが付いているからトレモロにしようね」
「ドラとセロパートは、ここの音は、余韻を残すように弾いて見ようか」
「このフェルマータは、もう少し間を開けてみる?」
「強弱ももっと、しっかりつけていこうね」
など提案しながら進めているうちにみんなの音色が一体となって、深みをもった演奏になっていきました。
約3時間の練習でしたが中身の濃い練習だったと思います。
次回は、3/18(日)矢野公民館で、最後の練習を行います。
どんなに進化するのか、とても楽しみです。
記事まとめ/河本、大崎(省)
2018年2月25日(日)
「山口和夫さんを偲ぶ会」
山口さんありがとう
山口さんのお別れの会、偲ぶ会にはたくさんの仲間が集まられました。
矢野マンの仲間と山口さんの大好きだった「瀬戸の花嫁」を演奏させていただきました。
慰問演奏で楽しそうに指揮をしていた山口さんを想いだしながら弾かせてもらいました。
山口さんとはマンドリンが縁で47年間のお付き合いでしたが、特に印象あることを紹介します。
広島交響楽団がこれまで2度演奏し、合唱やマンドリン演奏もされている「世界の命=広島の心」とういう曲があります。
この曲は、平成元年の「海と島博覧会ひろしま」の特設ステージでのコンサートでみんなに歌っていただける曲を作ろう、ということから始まりました。
まず、当時親交があり広島市の名誉市民であった原田東岷先生に詩を書いていただく様お願いしましたが、「私に詩は書けない」と何度も固辞されました。
しかし、山口さんのどうしても先生にお願いしたいと言う熱意から、詩を書いていただくことが出来、共通の友人であった藤掛廣幸さんの作曲で出来上がりました。
この曲は山口さん無くしては生まれておりません。
現在では広島ではもちろん、世界中で歌われ演奏されております。
なお、ドイツ語への翻訳は山口さんのご尽力で作られました。
また音楽以外でも、32年前には、毎週金曜日の早朝から始まる「積極人間の集い」という異業種交流会に山口さんと参加し、たくさんの素晴らしいご縁をいただき、二人で人生の宝物をいただいたね、と語り合っておりました。
このように、山口さんは何事にも前向きで積極的に活動し、あの素敵な笑顔と温かいまなざしで 出会いを大切にされ、いつもたくさんの仲間に囲まれていました。
その山口さんが この正月に 木の葉が舞い落ちるようにサラリと逝ってしまわれました。
早すぎます。
矢野マンは9月に55周年記念コンサートを行う計画で進めておりましたが、突然指揮者の山口さんを失い途方にくれておりました。が、気持ちを新たに感動的な演奏会を目指して皆で精一杯頑張っています。 どうか見守っていてください。
山口さん、ありがとうございました。
矢野マンドリンアンサンブル代表
桧 垣 尚 文
【矢野マンドリンアンサンブル】
昨日(2/25)は我々「矢野マンドリンアンサンブル」の正指揮者であった「山口和夫氏のお別れ会」が、リーガロイヤルホテルで開催されました。
第一部の「お別れの会」には約200人の参加。
祭壇の後ろのスクリーンには、
和夫氏の幼い頃から今に至るまでの写真を見せて頂きながら、
和夫氏の大学の先輩・職場の理事長で、この会の実行委員長でもある永見憲吾氏や
トーストマスターズの鈴木文三様から、
そして作曲家の藤掛廣幸氏からのメッセージも紹介され、
和夫氏の人間性、音楽に対する真摯な姿勢等が紹介され
、改めて和夫氏のすごさ、優しさ、情熱等を知りました。
第一部の最後は「メッセージカードのお供え」を祭壇前に捧げて幕を閉じました。
第二部は
我々「矢野マンドリンアンサンブルのウェルカム演奏」で1曲目は「川の流れのように」。
そして、和夫さんが「矢野マンの「瀬戸の花嫁」は世界一美しい」と、とっても気に入ってくださっていた「瀬戸の花嫁」を和夫さんに届けと、みんなで心を込めて弾かせていただきました。
演奏のなか、約160人のマンドリン、職場、語学等の関係の方々が入場。
着席後「思い出の映像」 (矢野マンの慰問・出張演奏、メモリアル演奏会等での和夫さんの指揮)
を見ながらの会食。
食事を頂きながらの「お別れの言葉」では、
日本マンドリン連盟中国支部支部長 檜垣尚文氏(矢野マンドリンアンサンブル代表)、
そして奥様からのお礼の挨拶 でお開きとなりました。
きっと和夫さん、天国で喜んでおられたと思います。
ご冥福を心からお祈りいたします。
大崎省三
山口和夫さんのこと
振り返れば・・・
マンドリンという楽器を始めたのが18歳
その年の秋、広島工業大学マンドリンクラブ
第17回定期演奏会が 山口和夫さんとの初めての出会い
でした。
10歳以上も年の離れた大先輩は
当時、ものすご~~く恐れ多くて
口をきくなんてありえない遠~~い存在でありました。
社会人になって入った、広島市民マンドリンクラブで
少しずつ親しくさせていただくようになったものの
やっぱりすごく緊張していました。
「僕ね、モーツアルトが大好きで(最近は、ベートーベンだった)
4歳の頃から、レコードでクラシックを流しながら、箸で指揮しよったんよ」
4歳から指揮棒を振ってクラシックが好き??
この先輩、只者であるはずがありません。
最近のお悩みは・・・
「僕の指揮はね、よく分からないって言われるんよ~」
そりゃ~そうですよ。プロ仕様ですもん。
国内の有名どころのオーケストラをよく聞きにいって
指揮の振り方を研究しておられましたから
アマチュアのマンドリンクラブでは、高度に感じる方もいたと思いますよ。
昨年2月の広島交響楽団ファン感謝デーでは、指揮者コンクールで見事に優勝され
プロから「あの人は何者だ!」と言わしめたなんて、さすが自慢の先輩です!
(凄く生意気な言い方ですが)私は大好きです。
山口さんのは「想いを伝えてくださる指揮」(と勝手に思っている)
細かい指示がなくても、どんなふうに音を出して歌えばいいのか感じられる
練習を重ねれば重ねるほど、引き込まれていくんです。
でも、まぁ・・・練習では楽器を構えないうちに
突然、指揮が始まっちゃってることも、よ~くありましたねぇ。
2年くらい前に行かれた、ザルツブルクの音楽祭
まる1か月、毎日夕方から夜中まで、最高峰のクラシックやオペラを堪能され
山口 「チケット、全部で70万もしたのに途中で沢山寝とったんよ。もったいないねぇ」
河本 「寝とった分のお金、20万でいいから、私にください。そしたら秘書しますよ~」
昔は口もきけなかったのに、すっかり生意気な後輩になってしまって、すみませ~ん
私も立派なおばちゃん世代になったもので、、、
山口 「世界最高峰のオーケストラの音色は素晴らしいけど、マンドリンの音色もそれに
負けてないですよ」
矢野マンで演奏する、「瀬戸の花嫁」は、山口さんの大のお気に入りで 「矢野マンの瀬戸の花嫁は、世界一美しい」と、言ってくださってました。
山口さ~~ん、そりゃ~そうですよ。
先日の初練習で、「瀬戸の花嫁」を、山口さんへの追悼の想いで弾かせていただいて分かりました。 瀬戸の花嫁が世界一だったのは、山口さんの指揮だったからこそだって。
その日、桧垣さんが一式もっておられた「今日、山口さんに渡すはずだった」
9月の演奏会のスコア
いつものように、丁寧に製本されていました。切なすぎます。
「ようこさ~~~~~~~ん」
矢野マンのある練習日、矢野駅から徒歩で公民館までの道のりで
気づけば私が前を、すたこらサッサと歩いていたそうで、
何度も何度も、オペラばりの大声で名前を叫び続けていたとのこと。
耳にイヤホンを付けていた私は、まったく気が付かずで
らしいと言えばらしい大らかさではありますが
せんぱ~~~~~い、恥ずかしすぎますぅ。
「テレビでね、オーケストラの演奏を聴いていたらね。
軽快で楽しい曲なのに、奏者はみんな能面みたいでね。 なんかヘンだよね~。
楽しい時は楽しそうに弾いたらいいのにね~。
ようこさんは、いつも楽しそうじゃねぇ~」
マンドリン関係者を紹介する時の名言(私の場合)
「こちらは、ぼくの後輩の河本陽子さん、マンドリンの名手っ!」(ひっひえぇ~~~)
あとから気が付いたのですが、山口さんの手にかかると、万人が名手だったのですが
こんな紹介を一点の曇りもなく真顔でされたら、練習しないわけにはいかないのであります。
そんなふうに、育ててくださっていたのだな~と
表向きは、付かず離れず
でも、工大マンドリンクラブのご縁と
山口和夫さんというお人柄の器に
ガッツリと導かれて、今があるんですね。
は~い! これからも、そちらから見ていてジレンマするくらい楽しく演奏させてもらいますから、出来が良かったら、ちゃんと「え~ねぇ~」って言ってくださいね!
朝から夜中まで、時間を惜しんで
音楽(指揮&クラシック)、語学(英語、ドイツ語、中国語ほか)、読書に、
人付き合いに、お仕事にと
大好きだったことを、普通の人の何倍も濃く堪能されて
いつでも、どこでも、誰とでも、どんな時でも、ま~~るく取り持って
そして、別れる時は必ず握手
昨年の後半からは、会っておきたい方々すべてに
ご挨拶されるかのように楽しい時を刻まれて、あっという間に逝ってしまわれました。
同期の竹内さんが「アッパレじゃ!」って言われていましたよ。
バリバリやってポックリ逝く
私もそういうの、目指しているんですけど。
でも、なんの前触れもなくいきなりの訃報は、なかなかきついもんですね。
「安らかに・・・」という言葉は合いませんねぇ。
きっと今ごろは、
あちらの世界のた~くさんおられる知人友人の皆さんへのご挨拶回りに忙しく
こちらであった事を、全部報告されているんですかねぇ。
それが終ったら、
だ~~~い好きなベートーベンをはじめとする名だたる作曲家や奏者に会いに行き(語学が堪能っていいですね~)
歴代の有名どころの奏者をた~くさん集めて、オーケストラを作って
さっそうと指揮棒を振っておられるのではないでしょうか?
山口さ~~~ん
私もそのうち、そちらに行きますから、一つくらいは山口さん指揮のマンドリンオーケストラがあると嬉しいです。
その時は、後ろの隅っこの方でいいので、絶対に入れてください!!
いつかその日まで‥‥
ルンルンで、腕を磨いておきますから。
私、最後の山口さんとの握手
しそびれたみたいなんです。だから次の時は握手からお願いいたします、ね!
ご冥福をお祈り申し上げます
かわもとようこ
2018年1月14日(日)
初練習
平成30年のお正月
何の前触れもなく、突然の訃報が入ってきました。
矢野マンの指揮者、山口和夫さんが
1月2日に急逝されたのです。
14日 初めての練習日は黙とうから。
でもね、山口さ~~ん!
実は、なんかまだ信じられないんですよ。
あれから思考が止まっているみたいです。
いつものように、いつもの皆さんで集まっているのに
なんでか、山口さんだけがいない。
神妙な面持ちや、涙をこらえながらの方もいて弾いた
山口さん一押しの「矢野マンの瀬戸の花嫁」
聞こえましたか~ ?
毎年恒例の野津田さんのおぜんざい
山口さんの特別席
美味しかったでしょ~
大崎さん作 山口和夫さん追悼の写真集
こんなん先輩に作らせちゃダメですよぉ~
去年の忘年会の写真
凄くいいお顔をされていて、やっぱりこの現実は夢のようにも思えてしまします。
矢野マンの皆さんにとって
山口さんは、かけがえのない特別な存在だったことを
昨日改めて実感しましたよ。
山口さんに導いていただいて、矢野マンのメンバーになって、もう少しでまる3年。
いつも笑いが絶えない皆さんの中に、山口さんの穏やかな笑顔と指揮があって
なんとも充実した楽しい日々だったことか。
本当にありがとうございます。
これからは、そちらから見守っていてくださいね。
「え~ねぇ~」って言ってもらえるように
頑張りますから。
かわもとようこ
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広島の友人・山口和夫さんが昨日亡くなった。
彼は【Pastoral Fantasy】が世に知られる様になった初期からの大切な友人の一人で【世界の命=広島の心】の作詩を原田東岷先生に頼み情熱を持って完成させた一人です。
★ https://youtu.be/nQCHU-vth5g
私の作曲した【交響曲・出雲】の「管弦楽版・全曲を上演させたい!」と熱意を持って出雲大社まで出かけたりしてくれていました。
私が家族を連れてロンドンに住む事になった時には広島から車で、友人達3人で岐阜の我が家まで来てくれて庭で焚き火をしてバーベキューをした事も懐かしく思い出されます。
【樹魂の歌】の指揮をするので作曲者の話を直接聞きたい、と千葉の私の自宅に泊まりがけでくる事になっていた日に入院、その後良くなって元気で活躍していました。こんなに急に亡くなるとは思いませんでした。
【Life Symphony】が九州で初演された時も会ったし、一昨年オペラ【紙すきの歌】が再演された時も岐阜まで来てくれて、ゆっくりと話す事が出来ました。
冥福を祈りたい、と思います。
山口和夫:指揮【樹魂の歌】
彼らしい丁寧な素敵な演奏です。
★ https://youtu.be/Rk7dBmZgiaA
藤掛 廣幸
2018年1月4日
山口和夫さんを悼む
今年始まったばかりの3日に山口さんが心筋梗塞で急逝されたとの知らせが入りました。 ここ数年軽い脳梗塞での入退院が繰り返され、本人も周りの人も気を付けていたのに、あまりに急にまた早い別れとなってしまいました。
クラシック音楽を愛し、東京・大阪など県外の演奏会に二度と聴かれないのだからと度々行っておられ、また3年前にはオーストリアのザルツブルグ音楽祭の為ドイツに一か月間滞在され世界のトップオーケストラや指揮者、アーチストによるオペラやコンサートを堪能されて帰られました。
また大学時代からマンドリンクラブの指揮をされ、昨年広饗に就任された指揮者の下野総監督がびっくりされたほどの腕前でした。
矢野マンには事あるたびに指揮を特別にお願いしていましたが、今では部員として毎回の練習から参加され、音楽性豊かな演奏を指導いただいておりました。
個人的には50年来の付き合いですが、音楽以外でも彼の積極的に行動する姿勢からたくさんのことを学び、おかげで多くの恵まれたご縁をいただきました。
藤掛さんが我が家に来られると山口さんは必ずお呼びし夜遅くまで語り合ったものです。
語り尽くせないほど多くの出来事がありますが、今はただ安らかにおやすみなさいとしか言いようがありません。
合掌
桧 垣 尚 文
矢野マンのホームページを開けて・・・・
山口さんの訃報を知り、驚いて悲しみで一杯です。
皆さんに比べて余りにも数少ない回数しか、お話しする機会は有りませんでしたが・・・
帰広した際には何時も優しい笑顔で接して下さった事を思い出します。
落ち着いていらして、静かな動きの中にも情熱を感じる指揮をして下さった姿を思い出します。
練習等の帰りにはJRで広島駅までご一緒になることも何度かあり、音楽以外の活動等を話して下さって、前向きな生き方に感動したことを思い出します。
9月の矢野マン55周年コンサートでお出会い出来ることを楽しみにしていましたのに・・・残念でなりません。
思い出の写真を見て、演奏の動画を見ながら 「沢山の感動を有難うございました!」と お礼を申し上げることしか出来ませんが、ご冥福をお祈り申し上げます。
大神朋子
人生 後半が面白い 味が出るのは これから これから
矢野マンは今年55年目を迎えました